2021.March
(今回も赤尾美香さんに代理で執筆していただきました。)
忘れもしない『ミュージック・ライフ』(以下ML)1987年1月号の表紙。鮮やかなピンク色をしたMUSIC LIFEの文字とジョン・ボン・ジョヴィの写真。私赤尾がML編集部に入った時点での最新号だった。記事のトップページでは「お陰様でNo.1になりました」と日本語で書かれた紙を持ってジョンが笑っていた。
「ボン・ジョヴィは日本市場から世界に飛び立った。つまり『ML』と、その読者が育てた最後の洋楽ロック・バンドだと言える」、と東郷かおる子氏は『我が青春のロック黄金狂時代』(角川SSC新書)に書いている。東郷氏にとってボン・ジョヴィはクイーンに次いで数多く取材をしているバンドでもある。
東郷 かおる子(著)
『わが青春のロック黄金狂時代―ビートルズからボン・ジョヴィまで』
(角川SSC新書:2007年刊)
あれは89年、東郷編集長とふたりで海外出張に出かけた時のこと。私にとっては初めての海外出張だ。フロリダでポイズンの取材を終え、ニューヨークでデビュー直後のスキッド・ロウに会った。スキッド・ロウはボン・ジョヴィのバックアップを得ていたこともあり、編集長との雑談は自然とボン・ジョヴィのことになった。すでにスター・バンドになっていた彼らは、同郷の後輩バンドに機材を貸したり、デビューの道筋をつけてあげたり、私には、いい兄貴分に見えていた。
「そうね。でも以前のジョンは突っ張ってたわよ。頑固だし。野心を隠さなかったし。私はそこが気に入ったの」というようなことを話した後、びっくりする話が飛び出した。「いつだったか、私にゴロニャンしたこともあったんだから。ハッハッハ!!」
“ゴロニャン”って……!!?? 編集長は笑い飛ばしていたが、私はなんとなくその続きを聞くことがはばかられて、話はそこで終わった。それから20年以上が経ち、ムック『MUSIC LIFE Presents ボン・ジョヴィ 1983-2016』(シンコー・ミュージック)を編集するにあたり、東郷氏に話を聞く機会を得たのだが、遂にそこで例の“ゴロニャン事件”の真相!?が明かされた。
『MUSIC LIFE Presents ボン・ジョヴィ 1983-2016〈シンコー・ミュージック・ムック〉』
時はボン・ジョヴィ初の単独来日公演が行なわれた1985年春。バンドはTV番組『夜のヒットスタジオDELUXE』に出演したのだが、あまりに待ち時間が長く、暇を持て余しているジョンと、密着取材で現場にいた編集長は色々な話をした。
「控室に長くいて、退屈で退屈で。それで、なんでか知らないけど、急に私の膝に頭を乗せてゴロニャンしてるわけよ」と振り返る東郷氏に「驚かなかったんですか?」と聞くと「別に。まあいいや、って感じ」と軽くスルーするのが、いかにも編集長らしい。そして、そんなジョンに向かって「なぜあなたはバンドをやるの?」と尋ねると、「これで有名になりたいからだ」ときっぱり。「音楽が好きだから」でも「女の子にモテたいから」でもない返答に「こいつは見込みがあるな」と思った編集長は、次号の表紙に彼らが決まっていることも明かした。ただし、表紙写真はバンドではなくジョンのソロ。それでも彼は大いに喜んで、「どんな写真がいいかな?」と前のめりになったという。この後ジョンが、“ゴロニャン”ぶりを「失礼なことするな!」と、日本のレコード会社担当者にこっぴどく叱られたというのも、今となっては貴重な逸話だ。ある意味、そうやって表も裏も見せながら築き上げた信頼関係が、ボン・ジョヴィと『ML』にはあったのだと思う。
1985年、ボン・ジョヴィは前年に続き4〜5月にかけて公演のため二度めの来日。ただし84年の来日は「SUPER ROCK '84 IN JAPAN」出演のためだったので、単独での公演としては初めての来日となった。その滞在中の5月1日、フジテレビ『夜のヒットスタジオDELUXE』出演。上の3枚の画像はそのリハーサルの模様。
2020年9月30日、ジョン・ボン・ジョヴィは、奥様ドロセアの誕生日をお祝いしてインスタグラムに1枚の写真をアップした。見覚えのあるこの写真、当時は門外不出、秘密の写真だった。
ジョン・ボン・ジョヴィ公式インスタグラム 2020年9月30日
https://www.instagram.com/p/CFuiemYDGwR/?utm_source=ig_web_copy_link
1988年の大晦日に東京ドームで開催されたSANYO HEAT BEAT LIVE出演のために来日したボン・ジョヴィ。イヴェント後は各地で単独公演をしたが、ちょうど昭和天皇の崩御と重なりスケジュールは二転三転。当のバンドは余暇にボウリングなどして楽しんでいたのだが。大阪でのこと。ジョンが、取材で同行していた『ML』の長谷部カメラマンに、プライヴェートな写真を撮って欲しい、とお願いした。ジョンは、この数ヵ月後に結婚することになる恋人ドロセアと一緒だったのだ。早朝、ホテル近くの神社に出かけて撮影した写真の中の1枚がこれ。長谷部カメラマンはモノクロの紙焼き数枚とネガをすべてジョンに渡した。プライヴェートな写真という約束だったから、編集部には紙焼き1枚とて残さなかった(見せてはもらった)。30年も写真を大切に保管しているジョンの几帳面さに驚きつつ、これをアップした時のジョンが、日本のこと、『ML』のこと、東郷氏や長谷部カメラマンのこと、思い出してくれていたらいいなぁ、と思ったものだ。
1988年の大晦日と、89年元旦に行なわれたライヴ・イベント「Sanyo Heat Beat Live '89 in Tokyo Dome」記者会見のために勢揃いした出演者一同、ボン・ジョヴィ、ラット、キングダム・カム、ブリトニー・フォックス。ジョン・ボン・ジョヴィの姿は右端に。
東郷 かおる子 Kaoruko TŌGŌ 音楽専門誌「ミュージック・ライフ」元編集長。
神奈川県横浜市出身。星加ルミ子氏に憧れ、高校卒業後、(株)新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社。
1979年に編集長に就任。1990年に退社。現在はフリーランスの音楽ライターとして活動。近著に「クイーンと過ごした輝ける日々」(シンコー・ミュージック刊)。
東郷かおる子さんが編集長だった『ミュージック・ライフ』は『MUSIC LIFE CLUB』と姿を変え、クイーンを中心とした往年の洋楽アーティスト/グループのニュースや情報をお伝えするサイトとして、シンコー・ミュージックが完全に無料のサービスとして運営中。
HA-NP50T
ワイヤレスイヤホン
オープン価格
軽い着け心地の
ながら聴き
オープンイヤーイヤホン
HA-FR17UC
USB Type-C™イヤホン
オープン価格
オンライン会議で活躍するマイク付き USB Type-C™開放型イヤホン
購入するHA-XC62T
ワイヤレスイヤホン
オープン価格
タフなデザインの重低音イヤホン
購入するHA-FR9UC
USB Type-C™イヤホン
オープン価格
オンライン会議で活躍するマイク付きUSB Type-C™イヤホン
購入するHA-A20T
ワイヤレスステレオヘッドセット
オープン価格
コロンとした丸いデザインの完全ワイヤレスイヤホン
購入するHA-FX150T
ワイヤレスステレオヘッドセット
オープン価格
ビクタースタジオの音のプロが認めた音を楽しめる、ノイズキャンセリング搭載完全ワイヤレスイヤホン
HA-EC25T
ワイヤレスステレオヘッドセット
オープン価格
柔らかフックタイプの完全ワイヤレスイヤホン
HA-XC72T
ワイヤレスステレオヘッドセット
オープン価格
コンパクトサイズの重低音イヤホン。ノイズキャンセリング機能搭載。
購入するもっと見る
閉じる
もっと見る