2021.August
1991年12月、東京ドームで行なわれたジョージ・ハリスン&エリック・クラプトンのステージ
「え~ッ? 取材ィ~~? そんな話、俺は聞いてないよ!」途端に不機嫌な表情になるクラプトン。彼とマネージャーが会話を交わす位置と、私達日本の取材陣との間隔が、やけに近い。二人の会話は聞きたくなくても、しっかり聞こえる。こりゃ大変だ。天下の大スター、クラプトン様のご機嫌が麗しくない。どうする日本人!
'91年12月に実現したジョージ・ハリスン&エリック・クラプトンの日本限定ジョイント・ツアー。その事前プロモーションのため、私は同年11月にロンドン郊外のリハーサル・スタジオで、この二人を並べて取材する幸運を得て、かなり興奮していた。だってだってクラプトンとジョージ・ハリスンよォ~。多分、二度と、こんな豪華な取材は実現しない……って当のクラプトンの不機嫌ぶりは一気に私の気持ちをドンヨリさせた。この取材のためだけに、わざわざ日本から来た取材陣は、すでにフリーランスになっていた私以外にも数社の新聞社、週刊誌等だった。
「やだよ。今日はリハーサルの日なんだから」と頑なクラプトンを横目に見ながら気分は、すっかり神頼み。ところが……神は本当にいた! 「やァやァ、遅くなってごめん」と、やけに軽いノリで現れたのはジョージ・ハリスンだった。仏頂面のクラプトンと、その場の暗ァ~い雰囲気を察したのか「あれッ、どしたのかな~?」と辺りを見回す。すかさずマネージャーが事情を説明したらしく、プンプン丸のクラプトンの肩に手を置くと「まァまァ、彼らも、はるばる日本から来たんだからさァ」と、文句タラタラの彼を説得してくれたのだ! もうハレルヤ! ハレクリシュナ!とでも叫びたい心境だった。
とにかく、すったもんだの末に二人のインタビューは始まった。興味深い話が多くて30~40分程では聞き切れない。二人の出会いは‘63年頃のクリスマス・コンサートだったという。その頃のジョージは、すでに注目を集めつつある新進気鋭のバンド、ザ・ビートルズのギタリスト。一方、クラプトンはヤードバーズに参加したばかりの無名のギタリストだった。その知名度の格差について問うとジョージが言った。
「僕らは、お互いに違う場所にいながら多分、同じものを求めていたんだ。知名度の違い? そんなものに対する反発心が強かったからこそ僕らの友情は生まれたのさ」(うううっ、泣💧)
‘60年代中期のビートルズの登場は、変革する時代の大きなうねりの中で世界中に狂信的なファンを広げ、かく言う私も、そのひとりとして、こうして今、ジョージとクラプトンにインタビューしているのだ……なんて感傷に浸る間もなく取材は進んでいった。
「僕は昔からバンドの前面に立つのが苦手でね。特にビートルズ時代は音楽ではなく、私生活のゴシップネタばかりを記事にされた」
すみません! 『ミュージック・ライフ』は音楽専門誌でゴシップとは一線を画して来たつもりだったが、ジョージと当時の妻パティをはさんだクラプトンとの不倫事件は、専門誌とは言え一大事件だった。それでも二人の友情は揺るがずに続いたのだから、あの関係はどう考えてもブロマンスだったのだなと思う( Bromance=Brother+Romanceの合成語、男性同士の深い精神的なつながりを指す。親密性が高い関係だが性的な意味はない)。
『パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ』
(シンコー・ミュージック:2008年刊)
ジョージの最初の妻パティ・ボイドの自伝
それにしても、そのロック界を揺るがした二人が目の前にいるなんて……真面目な取材とは言え実に、面白かった(いやいや、失礼は承知のうえだが人間の不思議さ、愛しさゆえに思ったことだ)。
このジョージとクラプトンの日本限定ツアーはジョージにとって’84年の北米ツアーから17年ぶり、ビートルズの来日から25年ぶりのツアーだった。この頃ジョージはツアー活動に興味を失っていたのだが親友エリック・クラプトンの呼びかけに応じての来日となった。クラプトンにとっても、同年3月の愛息コナーの事故死という哀しみを超えてのツアーだった。
ウドー音楽事務所による公演のチラシ
ウドー音楽事務所公式ツイッター、
2020年5月1日ツイートより。
https://twitter.com/udo_artistsinc/status/1256131292707663872
書籍『洋楽ロック史を彩るライヴ伝説 ウドー音楽事務所の軌跡を辿る』(シンコー・ミュージック:7月29日発売)。本書中にはこの91年の日本ツアーの裏エピソードも収録されている。
クラプトンの01年12月の日本ツアーの直前、ジョージの訃報が伝えられた(01年11月29日、享年58歳)。長くガンと闘っていたが力尽きた親友への公のメッセージは発表されなかったが、その夜、一言「for Geroge」と言った後、クリーム(バンド名)時代にジョージと共作し、ギターでも共演した曲「Badge」を黙々と演奏するクラプトンの姿を見て切なくなった。
「ジョージは僕にとって、年齢の近い兄のよう存在なのさ」。 ‘91年の取材時にクラプトンが、こう言うと横でジョージが静かに微笑んでいた姿が思い出される。
ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン
and ヒズ・バンド
『ライヴ・イン・ジャパン』
(ユニバーサル:1992年)
(東郷かおる子)
東郷 かおる子 Kaoruko TŌGŌ 音楽専門誌「ミュージック・ライフ」元編集長。
神奈川県横浜市出身。星加ルミ子氏に憧れ、高校卒業後、(株)新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社。
1979年に編集長に就任。1990年に退社。現在はフリーランスの音楽ライターとして活動。近著に「クイーンと過ごした輝ける日々」(シンコー・ミュージック刊)。
東郷かおる子さんが編集長だった『ミュージック・ライフ』は『MUSIC LIFE CLUB』と姿を変え、クイーンを中心とした往年の洋楽アーティスト/グループのニュースや情報をお伝えするサイトとして、シンコー・ミュージックが完全に無料のサービスとして運営中。
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